「新鮮な牛肉=生で食べても大丈夫 (新鮮=安全)」ではありません
「食品、添加物等の規格基準」の一部が改正され (平成24年厚生労働省告示第404号)、2012年7月1日から牛の肝臓を生食用として販売することが禁止されました。厚生労働省 (医薬食品局食品安全部長名)が6月25日に都道府県知事等に対して発出した文書 「食品、添加物等の規格基準の一部を改正する件について」 (食安発0625第1号)を参照すると;
・・・略・・・ 牛の肝臓の鮮度、保存状況、事業者の衛生管理等に関わらず食中毒が発生するおそれがあることが判明したため、国民の健康保護を図る観点から、法第11条第1項に基づく基準を制定し、牛の肝臓の生食の安全性を確保する知見が得られるまでの間、牛の肝臓を生食用として販売することを禁止するものである。 (同文書の 「第1 改正の概要」から引用しました)
「生食用牛肝臓」 (いわゆる「レバ刺し」等)の販売禁止に関しては、マスメディア、外食事業者、食肉小売店の業界団体などから反対の声があがっています。この行政による生食用食肉に関する規制強化については、意見がわかれるところだと思いますが、反対の意見を見聞きすると、新鮮だから大丈夫、今までに食中毒になったことがない、毒が入っているわけではないのに等々、科学的な根拠に基づいていない意見があると思います。
たとえば、ワタミ株式会社の取締役会長の渡邉美樹さんの公式サイト 「渡邉美樹.net」に掲載された4月6日付の記事 「『レバ刺し禁止』の愚かさ」 を読んで、とても驚きました。日本経済新聞の4月4日付の社説 「『レバ刺し禁止令』の愚かしさ」 にタイトルと内容が似ていたので驚いたというわけではなく、渡邉美樹さんが食中毒に関する間違った知識を持っていることに驚いたのです。彼の記事の一部を引用してみましょう。
会社を創業する前に修行していたお店でも、新鮮なレバーが入ると刺身で提供していた。売れ残った分は次の日に串焼きにする。現場では工夫して事故を起こさないようにしているのだ。聞けば生レバーの食中毒は年間10件ほど。食中毒全体の1%程度、という。それで、禁止というのは納得できない。
「新鮮=安全」という短絡的な考え方で、飲食店関係者だけでなく一般の人もが陥りやすい落とし穴の一つですが、売上高1,000億円を超す企業の経営者の食中毒に関する知識がこのレベルであるとは、驚いたのと同時に心配になりました。
腸管出血性大腸菌、カンピロバクター、サルモネラ属菌などの食中毒菌は食肉の鮮度が悪くなると発生するものではありません。食中毒菌は食肉由来のもので、と畜場、食肉処理場において衛生的な処理が行われたとしても食中毒菌をゼロにすることはむつかしいと言われています (「100%安全な食品はない」という考え方)。したがい、リスク管理という視点で考えれば、鮮度がいい悪いにかかわらず生食用の食肉を販売することは食中毒菌による食中毒の可能性が排除できない、すなわち会社経営上のリスク (事業リスク)になるので生食用食肉の提供は避けるべきだと思います。
また、売れ残った分は次の日に串焼きにするというのも、科学的根拠に基づいた衛生管理マニュアルに沿った加工であれば問題ないとは思いますが、消費期限切れ食品を廃棄しないで形を変えて販売するという食品衛生上好ましくない行為につながる可能性があると思います。
さて、牛肉だけでなく食肉の生食のリスクについては、厚生労働省、保健所設置自治体、消費者庁、食品安全委員会、農林水産省などが、消費者、事業者に対して啓発を繰り返し行っていますが、役所の情報は地味だからなのか、周知徹底には時間がかかっているようです。行政がどのような啓発を行っているのか、例をあげてみましょう。東京都福祉保健局が運営している東京都の食品安全情報サイト 「食品衛生の窓」ページに載っている 「ちょっと待って!お肉の生食」ページには、とてもわかりやすい情報が載っていると思います。中でも、事業者向けリーフレット 「あなたのお店の食中毒危険度チェック」は、事業者の食中毒に関する理解度を知ることができる、よくできたリーフレットです。このリーフレットには4つの設問があり、1つでも間違えた方のお店は、食中毒危険度が高いといえるそうです。
問1は、「鮮度がよい肉は生で食べても大丈夫? ウソ ・ ホント」です。
あなたはどう思いますか?
「Informed choice 納得した上での選択」
繰り返しになりますが、厚生労働省を始めとする行政は、食肉を生で食べることには食中毒というリスクがあるという注意喚起、すなわち食中毒の危険性の高さについての情報提供を繰り返し行っていますが、これらの情報は地味なためなのか、マスメディアが報道することは非常に少ないと思います。たとえば、厚生労働省(医薬食品局食品安全部監視安全課長名)が今年3月27日に公表した 「平成23年度食品の食中毒菌汚染実態調査の結果について」を見て、鶏肉 (ミンチ)のサルモネラ属菌による汚染率の驚くべき高さ、鶏肉 (ミンチ)、牛レバー (加熱加工用)、そして鶏たたきのカンピロバクター菌による汚染率が10%を超えていることなどを報道したマスメディアはあったでしょうか?
さて、日本経済新聞は4月4日付の社説 「『レバ刺し禁止令』の愚かしさ」において、「生食用牛肝臓」の販売禁止。「ただ1つの事業者が引き起こした不祥事を機に 「官」による規制が際限なく広がる、典型的なパターンだろう。耐震偽装事件のあと、建築基準法が強化され、業界を萎縮させたのと同じだ。」と厳しく批判しています。また、「生レバーに危険性があるのはたしかだが、1998年以降の食中毒事例は年間10件ほどだ。食中毒全体の1%に満たず、生ガキの食中毒などと比べて突出しているわけではない。」と書いていますが、消費者が多少の健康被害を被っても、食肉業界、外食業界の利益を優先すべきだということなのでしょうか?
「生食用牛肝臓」の販売を禁止することが愚かなことなのか、それとも国民の健康を守るためには規制強化は止むを得ないことなのかという議論はつきないと思いますが、2012年4月12日に開催された 「第427回食品安全委員会」において牛肝臓の生食に関して発言した食品安全委員会の小泉直子委員長の 「informed choice納得した上での選択」という考え方を注目すべきだと考えます。長くなりますが、食品安全委員会のホームページに掲載されている小泉直子委員長の発言(抄)の全文を下記に引用しました。
これまで食品安全委員会は、厚生労働省、農林水産省とともに、「食品にはゼロリスクはない」という普及啓発を進めてきました。やっとこの意味が国民に浸透し始めてきたと感じており、今回の生レバーについても、「リスクはゼロでない」という認識を持って注意して食していた消費者も多くおられたと思います。しかし、残念ながら、様々な食品において、食中毒菌による食中毒は現在も度々発生しており、患者が発生することが殆どない汚染化学物質や農薬等と比較して、国民の健康保護の観点から考えれば、現実に起こっている健康被害を食い止めるには、さらなる情報提供等の対応が必要と思います。そのために、「informed choice」という言葉を今までも色々なところでご紹介してきたのですが、この機会に改めてご紹介したいと思います。医療の現場における「informed consent」という言葉もありますが、食品については「informed choice」すなわち「納得した上での選択」が重要です。「informed」、つまり「納得」のためには、情報提供が重要で、これまでも取り組んできましたが、もっと積極的により有効な方策を工夫していきたいと思います。一方で、消費者は食品を自らの判断で安全なものを選び、美味しく食べるという権利を有しています。この「choice」の能力を高めるために、食育等に力を入れてきましたが、今後も消費者庁とも連携して、賢く選ぶことができるように、今まで以上に丁寧なリスクコミュニケーションに努めたいと思います。また、食品安全基本法にもあるとおり、国、地方公共団体、事業者、消費者、それぞれが、食品の安全性確保のための役割を果たしていくことが重要と考えています。
「第427回食品安全委員会」における小泉直子委員長の発言、
「Informed choice 納得した上での選択」
あなたはどう思いますか?
【参考】
「食品安全基本法」の第9条 (消費者の役割)は、消費者の果たすべき役割を次のように定めています。
消費者は、食品の安全性の確保に関する知識と理解を深めるとともに、食品の安全性の確保に関する施策について意見を表明するように努めることによって、食品の安全性の確保に積極的な役割を果たすものとする。
【参考にしたサイト、新聞、書籍など】
① 厚生労働省のホームページ
「牛レバーを生食するのは、やめましょう(「レバ刺し」等)」 ページなど
② 食品安全委員会のホーム―ページ
③ 東京都の食品安全情報サイト 「食品衛生の窓」
「ちょっと待って! お肉の生食」など
④ 渡邉美樹.net (2012年4月6日付記事)
⑤ 日本経済新聞 (2012年4月4日付社説)
⑥ 新山陽子・編 「食品安全システムの実践理論」 (昭和堂発行)